2017年09月11日

松江旅行2017(9)三日目・その2・揖夜神社

続きです。

黄泉比良坂から揖夜神社まではそんなに遠くありません。まっすぐ歩いていき、山陰線の踏切をこえると、その先でちょっと大きい道に来るので、その角を左折するとすぐ9号線の下をくぐってあとはそのまま一本道。あとで分かったのですが、これはいわゆる出雲街道と呼ばれる道なのでした。出雲街道は姫路から出て津山を通り松江/出雲にいたる道です。岡山県内では土居、勝間田、津山、坪井、久世、勝山、美甘、新庄などを通ります。

さてこの出雲街道を歩いていくと、左手にちょっとした小高い丘というか山というかこんもりした場所があり、そのふもと(左手)に消防団の建物があり、続いてドアが蔦で埋もれたような家が一軒あり、それと次の建物(工場)の間に、斜めになった粘土質の地層が見えるんです。とてもきれいです。

ストリートビュー

ちょっと入り込んでその崖の写真を撮らせてもらいました。

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このあとまた周りはやや平らになります。

そして電柱にお祭りのための通行止めのお知らせが立てかけてありました。

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通行止めは8月28日の夕方6時から。そう、ぼくたちがここを歩いたまさにその晩、揖夜神社でお祭りなのです。それはネットでも調べていました。毎年8月28日は、盛大な船神事『一ツ石神幸祭(ひとついししんこうさい)』と五穀豊穣を祈る『穂掛祭(ほかけまつり)』が行われるのだそうです。そして提灯がたくさんともされとても美しいのだそうです。でもその時間にはもう岡山。残念ですが仕方ありません。

もう少し進んでいくと揖夜神社の森かと思われるようなこんもりと木の茂った小山に近づいてきます。

ストリートビュー

実はこのあと、もう少し進むと揖夜神社があって、その手前に山に登れる階段があるんです。それを登って別ルートで降りようとしたら、上のストリートビューの場所の倉庫のすぐ裏まで戻ってこれたのですが、そこからが1メートルくらいの小さな段差ができていて、ジャンプすれば降りれそうではありましたが、草が茂っていて下の様子がよくわからなくて、危険なことはやめてまた山の上に戻りました。とても懐かしい場所でしたが写真には撮れなかった(そこまで戻らなかった)ので自分のためにここにリンクしておきました。

上のストリートビューの場所を先に進むと左手に大きな崖が迫ってきます。いかにも柔らかくて崩れそうな感じ。

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おまけにこんな標識が!!!

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「落石注意」と言われても困ってしまいます。

見上げると本当になにか落ちてきそうです。石だけじゃなくて木まで落ちてきそうです。

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さらに進みます。すると見えてくるんです……洞窟が☆☆☆☆☆ これは意表を突かれましたが、粘土質の柔らかい土なんでしょうね。簡単に掘れそうです。でも簡単に崩れてきそうです(笑)。

ストリートビュー

自分で撮った写真もどうぞ。

あっちから見たり、こっちから見たり……。
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なんか「ほら穴」って魅力的ですよね。

ストリートビューで見ると、このほら穴ひとつだけのように見えるでしょ? でも違うんです。ほら穴のそばの家はもう無かったんです! で隠れていたふたつの穴も、今は見れるようになっているんです。

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もっとあるのかもしれませんが、3つも見れば十分幸せになりました。

その先に揖夜神社(伊賦夜(いふや)の社)が見えてきます。船神事の準備をしておられました。

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そちらに向かう前に、今の崖の上に行ってみました。なんでも桜の名所にしようと上に「夜見路庵」というあずまやがあるのだそうです。もともとこの丘に「夜見路庵越」または「夜見路」とよばれる古い道があり、近くの谷を「夜見路谷」といっていたそうです。それをとって「夜見路庵」と名付けたそうです。登って行って最初に目立ったのは「黒柳千吉」と読める石碑です。嘉永の時代の相撲取りだったらしいです(裏にそう書いてあった)。昨日は雷電、今日は黒柳千吉。相撲取り続きです。

参考:松江市議会議員・野々内誠さんのブログ
「夜見道庵の掃除です」
http://blog.livedoor.jp/m_nonouchi/archives/12199521.html
「今日はボランティアの日」
http://blog.livedoor.jp/m_nonouchi/archives/3693635.html

夜見路(?)をどんどん降りていきました。とても気持ちのいい道です。
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ところが最後に降りる道が無くなってしまいました。
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ツレがもう下に降りているように見えるかもしれませんが、このときの高さが倉庫の屋根と同じくらいかもしれません。右に進むと少し低くなりますが、そこに木の枝や草がいっぱいで降りるのが難しそうでした。

というわけでまた元に戻って揖夜神社に行きました。茶色の石板に「伊賦夜社(揖夜神社) 風土記の時代は「揖屋」は「伊賦夜」と書かれた」と書いてあります。その隣に見えるのは灯篭を支える亀ではありませんか☆ 顔や手が壊れているのがかわいそうです。

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この向かいにも亀がいました。下の写真にちらっと写っているのが見えるでしょうか。

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ずっと奥に本殿もちらっと見えます。

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中に入る前に、船神事の準備の様子を撮らせていただきました。

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揖夜神社の解説板

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境内の写真をどうぞ。

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貼られたいたポスターや案内など:
「出雲國 意宇(おう)六社めぐり」
(「意宇」というのは昔あった「郡」の名前だそうです)
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「よもつひらさかマップ」
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「ここも 日本」※竹島は日本領土だという主張のポスター(^^;
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さきほどはほとんど写っていなかった方の亀です。こちらは顔や手が壊れていません。

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壊れている方ももう一度:
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お祭りは見れませんでしたが、静かな空間でいい気持になれました。特に何の信者ということはないのですが、ロシア正教の寺院でも、神道の神社でも、お寺でも、ぶらぶらするのは好きです。

さて、このあたりで揖夜神社にわかれをつげ、阿太加夜神社へ向かいます。普通の道路ですが、それほど無茶苦茶車が走っているわけではないので安全でした。

しばらく歩いていくと右手に工場がありました。ず〜〜っと中の方まで工場が続いています。とても大きい工場です。びっくりしました。「三菱マヒンドラ農機株式会社」と書いてあります。

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その先左手の古い民家の前にこんな解説がありました。

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「三菱農機(株)の前身、佐藤造機の創業者佐藤忠次郎が生前暮らしていた旧居」で今は「佐藤忠次郎記念館」になっているようです。「三菱農機(株)」と書かれていますが、その後「三菱マヒンドラ農機(株)」に変わったのでしょう。

マヒンドラというのはインドの会社の名前だそうです:
Wikipedia

この佐藤忠次郎さんが昭和15年に黄泉比良坂の石碑を立てた当時の町長さんだった人なんですね。なるほど。

では三菱マヒンドラ農機の建物の写真をもう2枚どうぞ。

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その先に「出雲街道」の解説札が貼ってありました。

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では次(松江シリーズ最終回)に続きます。明日載せられるかな?
posted by dunno at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行
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