2018年01月29日

tunehikoさんのブログ記事、長谷川伸のこと

すでに何度も長谷川伸のことは記事にしているのですが(例えばここ)、敬愛するtunehikoさんがブログに関連する記事を書いておられたので、昨日、facebookでその記事をシェアしました。そのときに書いたものをこちらにも写しておきます。

2018.01.27 Sat 安室奈美恵、小室哲哉の引退と島津亜矢・時代が変わる大きな潮目。
http://koisuru21.blog.fc2.com/blog-entry-811.html
 わたしはくわしく知る機会がないのですが、リズム&ブルースの奥底にある悲しみと怒りを感じる感性が安室奈美恵にあり、それは本土を守るために沖縄の人々を犠牲にし、戦後は沖縄を踏み台にした戦後民主主義の矛盾に育てられた少年少女の一人であったことと無関係ではないと思うのです。
 ともあれ、島津亜矢がたとえば「一本刀土俵入り」や「瞼の母」を歌う時、今までどちらかというと「男歌」としてとらえられてきましたが、わたしは生まれ育ちから決して「期待される親子像」や「期待される家族像」とは縁遠い人生を送らざるを得なかった青年(少年)、非情な世界で生きざるを得なかった青年のかなしさと、それでもなくさなかった純情を、凛とした立ち振る舞いと少し遠くを見つめる瞳にかくしてまっすぐに歌いきります。
 それはそのまま、これらの芝居を書いた長谷川伸の表現の核心でもあります。
 長谷川伸の世界から生まれ、語り継がれてきたこの物語は、島津亜矢の歌の中でもう一度、傷つきやすい少年時代の官能的とも言える心の叫びとなってよみがえるのでした。
 長谷川伸の描く義理人情の世界は、いつのまにかあまり表だったものではなくなりましたが、いまだに歌や大衆演劇などで語り継がれているのもまたたしかなことで、いま、もしかするとわたしたちの心の底で、もう一度長谷川伸を必要としているのかもしれません。
 島津亜矢の場合も安室奈美恵の場合も、受け継がれてきた先人たちの歌の中にある歴史を知らなくても、歌そのものが歌うひとにもその歌を聴くひとにもダイレクトに純な心に届けてくれるのだと思います。 


(ぜひ本文全体をお読みください)

以下、私のfacebook記事です(少しいじっています):

安室奈美恵さんにも小室哲哉さんにもほとんど関心がないのですが、亜矢さんと長谷川伸の部分にぐっときました。細谷さんの文章は本当に大好きです。

大衆演劇を見始めてからもう10年ちょっと。なんで覚えているかというと、劇団花吹雪にはまった月に肺炎で入院した山口の父が、翌月あっけなく79才で死んでしまい、その父と同い年だった母が今90才になっているからです。父の死と劇団花吹雪はぼくの中で結びついてしまっています。

何の根拠もなく「大丈夫だろう」と思っていたので、入院の付き添いにもいかず、花吹雪の芝居に毎週末のようにでかけていました。

自分のメモ「劇団花吹雪・岡山千日劇場公演」(2007.05)
http://surgery.matrix.jp/ent/stages/index.html#hanahubuki200705

大衆演劇は通常、第一部が顔見世ミニショー、第二部が芝居、第三部がメインの舞踊ショーという構成です。芝居が長い場合はミニショーがカットされます。ぼくは踊りにはまったので、芝居は休憩時間のつもりで観ていましたが、初めて引き込まれたのが「刺青丁半」という芝居でした。それがまさに第一部・第二部が芝居の日だったんです。これは自殺しようとしていた女・お仲とそれを救ったやくざ・半太郎の物語。半太郎に惚れたお仲は去っていく半太郎を追いかけ、二人は夫婦になります。かたぎになったはずの半太郎でしたが、大好きなばくちだけはやめられません。そのうちお仲は重い病気になってしまいます。もうすぐ死んでしまうとわかった彼女は、半太郎に最後のお願いがある……と言って男の腕に刺青を彫ります。それは彼のばくちをいさめるサイコロの刺青でした。半太郎は、きっとばくちをやめるから癒ってくれとお仲に頼みます。そのあと、半太郎は……なんとばくちにでかけ、サイコロを自分の用意したいかさまのサイコロにすり替え、因縁をつけて金を得ようとしたんです。それは、お仲の嫌いなばくちで金をかせぎ、それでこれっきりもうばくちはしないから……とお仲を安心させようという考えだったのです(そこが根本的に間違っているんですが、半太郎にはそれしかできないというところが悲しい……)。ですが、すぐにばれて、袋叩き。そこに親分が現れて、事情を聞き、半太郎にサイコロ勝負を挑みます。半太郎が勝てば大金をそして……。という話。

この芝居にすっかりはまってしまい、ネットで調べたところ、長谷川伸の『刺青奇偶(いれずみちょうはん)』だとわかり、長谷川伸全集の戯曲編2冊をネットで購入しました。実は学生の時にも長谷川伸の股旅小説(文庫)を買ったりもしていたのですが戯曲には手を出していませんでした。この人の本はツボにはまるんです。
『刺青奇偶』を読んでみたいという方はこちらからどうぞ。
http://surgery.matrix.jp/tmp/irezumi_chohan.txt

さて、話を亜矢さんに移します。昨年末の紅白で島津亜矢さんはベット・ミドラーの"The Rose"を歌われました。曲が決まってから、YouTubeにLUXMANさんという方が、亜矢さんが "The Rose" を歌われた映像を載せられました。
https://youtu.be/ibnItkP6_Vc

CDでは 「Singer3」に入っているんですが、この映像の亜矢さんがとても可愛らしかったので、これがはいっているDVD「島津亜矢リサイタル2015 ありがとう」を買ってしまいました。今は、音だけMDに落として、そっちを聴いています。このDVDの中に、「歌謡浪曲 一本刀土俵入り」、「関の弥太っぺ」、「瞼の母」という長谷川伸の名作をもとにしたミニ芝居や歌がはいっていて、とても満足しています。

『瞼の母』は長谷川伸の子どもの時の体験が元になっている芝居です。彼の父親が他に女を作り、長谷川伸がまだ4つの時に、彼とその兄を残して、母親は離縁となったのです。その後も、母親はそんなに遠くないところに住んでいたようです。ある日、彼が家(店)の前で遊んでいたとき、人力車がやってきて、乗っていた女の客が彼にお菓子を投げました。彼はそれを拾って「落ちたよ〜」と叫んだらしいのですが、店のものが飛びだしてきて、それはくれたものだと言って抱きとめたそうです。その後、彼は当分の間、往来に出てその女が来るのを待ちましたが、もうその人は通りませんでした。長谷川伸は、それは母が最後の別れにやってきたんだろうと書いています。父親に再婚したからです。実は母はその後も人を使って彼やその兄の様子を見させていたようです。それに気づいていた彼の兄が12才、長谷川伸が8才の時に、兄は彼を誘って実の母のところまで歩いて行くんです。そして、ある家まで来ると、兄がその家に入ろうとしますと、女中が出てきて兄と何か話しますが、一度家の中にはいってしまいました。やがて出てきた女中は二人を門の外へ連れ出し、そこで待たせます。やがて人力車がやってきて、女中は彼らをそれに乗せ、お菓子をもたせて、家へと帰らせたのでした……。母にも事情があったのでしょう。兄の方は43才で亡くなるまで一度も母のことを口にしなかったそうです。『瞼の母』はこの体験をもとに書かれた作品。長谷川伸はのちに母親と面会することができ、その後『瞼の母』の上演を封印します(今は上演可能)。

長谷川伸は家が裕福だった時も経験していますが、没落して、学校にもまともに通えなかった人です。それでも、というかそれだからこそ人の琴線に触れる作品を書きました。細谷さんが書いておられるように「わたしたちの心の底で、もう一度長谷川伸を必要としている」のだと思います。

オススメは名作戯曲群および自伝「ある市井の徒 越しかたは悲しくもの記」です。入手できない方は私に声をかけてください。

amazon 「ある市井の徒 越しかたは悲しくもの記」(中公文庫)

中古でも読めますし、kindle版もあるようです。
タグ:島津亜矢
posted by dunno at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇
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