2018年04月12日

劇作家・秋元松代

先日、時間があったので、丸善をぶらぶらしてみました。演劇の本でほしいものがありましたのでいってみたら、棚に並んだ本の中から「秋元松代」という名前が飛び込んできました。「劇作家 秋元松代――荒地にひとり火を燃やす」(山本健一著、岩波書店)でした。この方のことはずっと気になっていたのですが、ほとんど何も知りません。めぐり逢いっているのはこういうものかと思い、すぐ購入しました。

このブログでも何度か秋元松代さんの作品について書いたことがある気がしますが、ぼくが芝居にはまるきっかけを作ったのが秋元松代さんの『七人みさき』でした。高校2年生のときにNHKのテレビドラマで観ました。

資料:
http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-12393
第25回芸術祭優秀賞受賞作品。「高知県の山村を舞台に、土俗臭濃い人間の情念と過疎問題を描き、現代日本の魂のあえぎを浮き彫りにする。「みさき」とは怨霊を意味する高知県の方言で「七人みさき」とは旧正月に女が死ぬと、同じ村の女七人が次々死ぬという伝説である。測量技師・香納大助(清水紘治)が、開発の仕事のため影村を訪れると、つじで七人の女たちが輪になって酒を飲んでいる。旧正月に女が死んだので「七人みさき」をのがれようとする習わしだった。彼女たちの夫はすべて出稼ぎ中。大助はその中の一人、壷野藤(緑魔子)と親しくなるが、藤は影村の開発をことさらに遅らせ、静かな別荘地として売り出そうと考える大地主・光永(高橋昌也)の一族で、大助は藤のペースに巻き込まれてしまう。【この項、「読売新聞」1970/11/08付より引用】」東京ニュース通信社刊「テレビドラマ全史」では放送枠・22:10〜23:40と記載されている。1971/01/23(土)にNHK「長時間ドラマ」枠(土曜22:10〜23:40)にて再放送された。脚本の秋元松代は後に本作を戯曲に改稿し、戯曲が1976年に読売文学賞を受賞。

上のページによると1970/11/08の22:10-23:45(23:40?)に放映され、年が明けて1971/01/23(土) 22:10〜23:40に再放送されたようです。どちらを観たのかは記憶にありません。ともかく、主演の緑魔子さんの妖しい魅力にノックアウトされてしまい、すっかりファンになってしまったのです。

『七人みさき』のシナリオを書いたのがだれかなども全く知りませんでしたし、またその後もタイトル等まですっかり忘れてしまいましたが、1973年5月(?)、寮の先輩に芝居を観にいこうと誘われて、緑魔子さんが出演されるというのでとても期待して新宿文化に観に行ったのが櫻社の『盲導犬』(作:唐十郎、演出:蜷川幸雄)でした。映画館ですから舞台は狭いのに、コインロッカーを使ったスペクタクルに圧倒され、そして、魔子さんの魅力も再確認して、その後、週末になると観に行き合計3回観ました。すごい人気で、長い列ができたのですが、早くから並んで最前列中央付近で魔子さんをみました。行列に並んでいるときに手渡されたチラシの中に状況劇場『ベンガルの虎』のチラシもあって、同じ作者のものなら絶対面白そうと思って観に行きました。『盲導犬』ほどは面白くないだろうと思っていたので、馬鹿なことにすぐには観に行かず千秋楽に観に行ったんです。蜷川の『盲導犬』の演出は本当に完ぺきな美しさを持っていましたが、状況劇場の芝居は全く違って破天荒そのもの、役者が池から水をはじきながら舞台に上がってくる様子に度肝を抜かれてしまい、長い芝居ですが、最後まで本当にワクワクしながら観ました。そして女優・田口いくこさんの美しさに、心臓をギュッと握りつぶされるような気持になりました。今でも、緑魔子さんと田口いくこさんがぼくにとって最高の女優さんです。観終わって、なんでもっと早く観に来なかったのか悔やみましたが、後悔先に立たず。仕方ありません。同じ年の状況劇場の秋の公演『海の牙』は初日からでかけ、何度も通いました。当時、1時から受付で整理券を貰えたのでその少し前からそのあたりをうろうろしました(ぼくは最前列で芝居を観るのが好きなのです)。

通っているうちに、やはり同じように整理券を貰ってもうろうろしているファンの方たちとおしゃべりして何人かと仲良くなりました。そのときに、芝居を観るきっかけを訊かれ「高校の時にNHKのドラマで緑魔子さんのファンになり、『盲導犬』を観に行って、芝居にはまりました」というようなことを言ったのだと思います。そうすると芝居に詳しい人が「それは『七人みさき』ですよ」と教えてくださったんです。その時、秋元松代さんのお名前もきいたのかもしれません。今のようにネットで情報が簡単にみつかる時代ではありませんでしたから、『七人みさき』のことは頭の片隅にしまっておくだけでした。そもそもタイトルを『七人岬』かと思って覚えてしまいました。

今調べると、秋元松代さんは197〇年に『七人みさき』を舞台用の戯曲に書き直され、書籍として1975年に出版されています。さらに、大和書房から1976年に『秋元松代全作品集』全3巻が出版され、『七人みさき』はその第2巻に入りました。このような経緯は全く知らなかったのですが、70年代の終わりごろ、1978年か79年、西荻窪の古書店でこの『秋元松代全作品集』第2巻をみて、ほしいな! と思ったのですが値段が高くて、貧しい大学院生には手が出ませんでした。

結局『秋元松代全作品集』第2巻を入手したのはずっと後の、2007年2月、岡山の丸善のあるビルで古書市をやっていて、そこで遭遇しました。また、この本の中に、シナリオ版の『七人みさき』は雑誌「季刊 辺境」第3号に掲載されていると載っていたのですぐネットで注文し、入手しました(2007年2月)。シナリオの最初の2ページだけ載せておきます。

7misaki-1.jpg

7misaki-2.jpg

なお、秋元さんのシナリオの次には石牟礼道子さんの『苦海浄土』の第2部の連載が載っていました。

戯曲とシナリオは、大筋は一緒ですが、細かい点では色々違っています。ですが、読んでみてともかく驚いたのは、長い年月の間にぼくの頭の中でけっこう間違った記憶ができあがっていたことです。不思議なものですね〜。

おっと、話をもとに戻しましょう。

秋元松代さんの『七人みさき』以外の作品で次に見たのは1979年の2月になります。『近松心中物語』(演出:蜷川幸雄)です。1973年秋の公演を最後に、櫻社が解散、蜷川さんは『ロミオとジュリエット』(1974)で商業演劇の演出を手掛け、正直なところ失望して観に行きませんでした。沢田研二は許せる気がして『唐版 滝の白糸』は観に行きました。蜷川さんの演出の評価が高くなってきたので、ぼちぼち……ということで『ハムレット』(1978)、 『近松心中物語』(1979)、『ノートルダム・ド・パリ』(1979)を続けて観ました。この中で一番美しかったのが『近松心中物語』でした。特に冒頭の部分がとてもよかった!!! 

このときは気合を入れてチケットを買いました。電話ではつながるかどうかわからないので、帝国劇場で発売開始の日に早くから並びました。そのときのチケットがこれです:
19790207chikamatsu.jpg

2月7日・夜の部の「イ27」「イ28」を買うことができました。最前列です。中央は「イ29番」でしたからほとんど真ん中。臨場感があったのだと思います。この2枚のチケットは大事に残しています。

パンフレットを観て気づいたのかどうか覚えていませんが、ともかくこの作品で秋元松代さんと再会。その後4年ちょっと日本にいなかったので次の『元禄港歌 千年の恋の森』は見逃して、のちに再演(1984年8月・9月)を観ました。ただ、あまり内容が記憶に残っていません。

『元禄港歌−千年の恋の森−』(2016年1月の再演@シアターコクーン)
https://www.bilibili.com/video/av4337044/

『近松心中物語』は大ヒットでしたね。でも、やはり心に残るのは『七人みさき』です。なんというか、商業演劇の役者さんの体質があまり好きではないんだと思います。

思い出話が少し長くなってしまいました。今回購入した「劇作家 秋元松代――荒地にひとり火を燃やす」のことにも少しだけ触れておくことにします。まだ読み終わってないのですが……。

岩波書店の紹介ページ:
https://www.iwanami.co.jp/book/b266470.html

秋元さんは若いときからずっと日記を書き続け、膨大な日記を残しています。この本ではそのうちからたくさん引用してくれていて、その部分がとてもいいです。

例えば第一章の冒頭では、秋元さんと俳人の橋本多佳子という方との交友を紹介しています。その部分での日記の引用です:
《先生への敬慕は、ある意味で恋に似ております。私以外の人は、こんな感情を変質的だと軽率に申しますが、私は自分の豊饒さであると、あえて自負いたします。人はこのような心情を経験しないから理解しないだけです。》

熱い想いがほとばしっています。初めて二人が会ったのは秋元さんが39歳、橋本多佳子さんが51歳の時。

秋元さんはピュアで激しい愛情を秘めた人だったのですが、その一方で、非常に孤独な人でした。家で、ひとり酒を飲むことも多かったそうです。ピューリタン的な節度あるつきあいのなかで、激しい思いはしだいに淡々とした気持ちに変わっていきます。

それは、67歳の時に『近松心中物語』で出会った太地喜和子さん(当時36歳)に対しても同様です。最初はレズビアン関係と噂の立つほどでしたが、次第に心の距離ができてしまいます。秋元さん自身は「自分はエゴイストだから他人を心底愛せるはずがない」と思っていたのではないか、と著者(山本健一)は書いています。

その次に取りあげられるのが湯浅芳子さんとの関係です。湯浅芳子さんは中條百合子(のちの宮本百合子)と恋人同士の関係にありましたが、結局、宮本顕治に百合子を奪われてしまった人。ぼくはこの人がとても好きです。初めて出会ったのは秋元さんが39歳、湯浅芳子さんが54歳のとき。次第に仲良くなった二人は頻繁に手紙を交わしますし、一緒に芝居を観たりもしますが、やがていつしか溝ができてしまうのです。

時間的な関係がわかりにくいですが、著者が簡潔にまとめてくれているのでそこを引用してみます。《》は日記からの引用です。
秋元が前述の橋本多佳子と初めて会い、少女のように胸をときめかせたのは五〇年五月だった。湯浅との交流の高まりはその一年後の春から夏にかけてだった。五一年八月一四日には、午前中に湯浅から手紙があり、《先生を一途に好きだと思う》。同じ日の午後には橋本多佳子から来信。《哀しく美しくやや冷たい》。第三章で触れるが、三好十郎の戯曲研究会で知り合った男性会員に、娘のような初々しい恋心を五一年の日記に綴っている。この過剰なる情念こそ、秋元を突き動かし揺さぶるマグマだった。

その「男性会員」とは、秋元の片思いに終わってしまいます。日記では次のように書いています:《彼が私に与えてくれたものは憐憫と誠実だった。女にとって異性の憐憫と誠実は絶望的な救いである。……(略)…… 彼は人間として友人として私を扱い、そっと避けて、遠ざかった。彼の聡明さが私を愚行から救ってくれたが、私は今も恥のために燃える。私はこの恋心を憎みたい。失われた時と、再び望みえない夢と、一度も私をおとずれなかった悦楽とを私は憎むよりほか生きることが出来ないとさえ思う。私の恋心を私は殺さねばならない。そうしなければ私が死滅するだろう》(第三章より)。このあたりまだまだ日記の引用が続きます。ぜひ本でお読みください。

秋元松代さんは、生涯、結婚することはありませんでした。自分でもう書けないとわかるまで、ひたすら作品を創り出すことに情熱を注がれたようです。見習いたいものです。

さて今まで読んだのは第六章までと、第九章「『七人みさき』の天皇制」、第十章「蜷川幸雄との出会い」を読みました。この2章は一気に読めました。他の章を読む前にもう一度、他の作品を読んでおくことにします。
posted by dunno at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇
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