2018年10月07日

『いまこそ、自分の時間を生きる』岡村淳監督トーク&作品上映会

10月3日(水)、奉還町のラウンジ・カドというお店で岡村淳さんのトークと作品上映のイベントが開かれました。お世話をして下さったのは赤木さんという方でした。

『いまこそ、自分の時間を生きる』記録映像作家 岡村淳監督 トーク&上映会
https://www.facebook.com/events/332489774159306/
ブラジル日本移民110周年の今年。
日本から遠く離れたブラジルへと渡り、自らの手で苦難の人生の道程を切り拓いてきた日本人移民の方々。
その決して忘れられない歩みに寄り添い、温かなまなざしを向けるサンパウロ在住の記録映像作家、岡村淳監督の作品を上映します。


サンパウロ在住の記録映像作家・岡村淳さんについては過去に以下のような記事を書いています。

2012.11.22
橋本梧郎と水底の滝 第一部・南回帰行
http://flim-flam.sblo.jp/article/60219173.html

2013.6.19
忘れられない日本人移民
http://flim-flam.sblo.jp/article/69266531.html

岡村さんの映画の上映会は、必ずご本人立ち会いの下で行われるんです。そしてトークでは、記録映画の「その後」のお話も聴けるんです。今回はなんと2本も映画の上映があると言うことだったのですが、平日の午後3時からではとても参加できません。残念ですが、7時からの2本目のほうだけに参加しました。

プログラムは以下の通りでした。

第一部 15:15〜18:30
『ブラジルの土に生きて』(150分)
※岡村さんの本『忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅』の一番最後の章で取りあげられているご夫妻のことを撮られた作品です。観たかったです。

第二部 19:00〜21:00
『移住四十一年目のビデオレター グアタパラ編』(73分)

こちらは、1962年(ぼくがまだ小学生3年生の頃ですね)に南米に向かった移民船あるぜんちな丸でブラジルのグアタパラという土地へ移住された小島忠雄さん(当時20歳)と見尾智子さん(14歳)〜のちに結ばれて6人の子どもをもうけます〜やその家族の方々の話が中心です。撮影当時は6人のこどもたちのうちたしか4人は日本に滞在中で、そのうちのひとりの娘さんは日本で結婚されました。一緒に暮らしているのはお一人だけ。ただし、智子さんのご両親がすぐそばに住んでおられます。

グアタパラへの移住に関しては、今のJICAにあたるような組織が世話をしたのですが、農業用水をひいてくる工事が、低い土地から高い土地に水を流そうとするのでいくら溝を掘っても、肝心な水は流れてこないという最低な状況。十数家族が入植したのですが、今(というのは撮影された2003年当時のことです)も残っているのはこの小島さんたちだけ。ただしこの町自体には多くの日本人が移住しています。

この映画の中では健康食品としてブームだったアガリクスの栽培が盛んに行われていました。小島さんも、日本にいる孫たちが何人もブラジルに来てもいくらでも受け入れられるというようなことを言っておられました。ただ、岡村さんのはなしによると2018年現在ではもう廃れており、状況はなかなか厳しいものがあるとのことでした。

映画のタイトルは、小島さん夫婦、見尾さん夫婦から日本にいる家族に向けてのメッセージビデオを岡村監督が奈良にいる娘さん家族に届け、さらに娘さんからのメッセージビデオをブラジルへ届けたことを意味しています。今ならネットで瞬時に繋がれますけどね。

智子さんのお父様は戦争で米軍の捕虜になり、最終的にはニュージーランドで3年間ほどすごして、日本に復員されたそうです。そのときに、ニュージーランドがとても良いところだったので、行くとしたらニュージーランドがよいと思っておられたのですが、結局ブラジルに来ることになってしまったそうです。そもそも移民しようと言い出したのはお母様の方だったのだそうです。智子さんのお母様は体が弱っておられてあまり外出はされず、日中でも横になっておられたのですが、移民をした動機などに関する岡村監督のインタビューに立って答えておられましたが、子どもたちには可哀想なことをしたと言って泣いておられました(観ているぼくも少し泣いてしまいました、この映画の中で一番揺さぶられたところでした)。智子さんご自身も、中学を中退して移民することになって、毎日泣いて暮らしたそうです。どんな事情で移民することになったのかは映画では語られませんでした。辛い思いをして、日本に戻ってしまった人たち、他の場所に移ってしまった人たちが多いのに、なぜ頑張ってこの場所に住み続けられたのか(小島さんご自身も日本に出稼ぎに行かれたそうです)……非常に興味があったのですが、監督はそのあたりは節度をもって映画を作っておられました。

智子さんご自身はとても朗らかで素敵な方でした。

いい映画でした。お近くで上映会があるようでしたら、ぜひ参加してみて下さい。

※この映画の見尾さんとはきっと全く何の関係もないのですが、僕より少し若いアメリカ人で Washington Mio という数学者がいます。Cappellのお弟子さんです。見た目は完全な日本人。Mio の漢字は不明です。三尾かもしれません。
https://www.genealogy.math.ndsu.nodak.edu/id.php?id=33812
映画で「ミオさん」という名前が出るたびに彼の顔が浮かんでしまいました。

ネットで調べてみると、「見尾」さんは日本には320人ぐらいおられるそうです。しかもそのルーツは岡山県。智子さんも岡山県出身です。

https://myoji-yurai.net/
現岡山県北東部である美作国真島郡見尾村が起源(ルーツ)である。津山藩にみられる。近年、岡山県に多数みられる。「尾」は接頭語か、小さい開発地の意味。


一方、三尾さんは4200人もおられるそうです。ずいぶん多いですね。

ついでですが、ぼくの母の旧姓「生石」は全国で100人。広島と鳥取県に多いそうです。でも読み方は「おいし」が多いいそうです。多分、鳥取県では「いくいし」「いきいし」が多いのではないでしょうか。
posted by dunno at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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