2018年10月31日

三橋順子さんの『新宿「性なる街」の歴史地理』

着物姿で有名な三橋順子さんの新著『新宿「性なる街」の歴史地理』を読みました。ずいぶん日にちが経ってしまいましたが忘れてしまわないうちにメモを残しておくことにします。

(順子さんのブログの画像を拝借しました)
junko-shinjuku.jpg

地図が多くて「図C1−13のA」のようなのが出てくるたびに地図とにらめっこすることになって、なかなか進まず、3日ぐらいかかってしまいました。順子さんは子どもの時から地図マニアだったそうです。

三橋順子さんのブログ「続々・たそがれ日記」
https://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp

この本に関する記事はこちら:
https://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306172047-1

三橋順子さんご自身が書かれた紹介文(「一冊の本」2018年10月号より)
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2018092800028.html?page=1
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2018092800028.html?page=2

(下の目次も順子さんのブログよりコピー)
【目次】
第1章 「新宿遊廓」はどこにあった?
(コラム1)「廓」という空間
第2章 「赤線」とは何か(1) ーその成立ー
(コラム2)RAAと「赤線」亀戸 
第3章 「赤線」とは何か(2) ー実態と経済ー
(コラム3) 映画からみた「赤線」の客
第4章 「赤線」とは何か(3) ーその終焉ー
(コラム4)昭和33年3月31日「赤線最後の日」の虚構
第5章 新宿の「青」と「赤」―戦後における「性なる場」の再編―
(コラム5)朝山蜻一『女の埠頭―変貌する青線の女たち―』を読む
第6章 欲望は電車に乗って ―都電と「赤線」―
(コラム6)「原色の街」の原色の女
第7章 新宿・「千鳥街」を探して ―焼け跡・闇市系飲み屋街の記憶―
(コラム7)「旭町ドヤ街」の今昔
あとがき −2つの出会いー 

三橋順子さんのファンなので定期的にブログを覗いているんですが、とても理知的で、信頼の出来る方……という印象があります。唯ひとつだけ「これはちょっと……」と思うのは、甘いものがお好きなところ。まあ、自分もそうなのでとやかく言える筋合いではないんですけどね。ただほとんど同い年で、ぼくの場合甘いものをたくさん食べると体調が悪くなってじんましんが出たりするので、順子さんには健康に気をつけてほしいなあと思うのです。

この本のことはかなり前から宣伝しておられたので、予約して、発売後すぐ手に入れました。

メインの内容は新宿二丁目・三丁目から花園神社の裏のゴールデン街、歌舞伎町や新宿駅ルミネ口から東へ進んだあたりの旭町などの歴史ですが、それだけではなく東京の色んな場所(昔、遊郭、赤線青線などのあった場所)もかなり詳しく説明されています。学生時代に目黒区や文京区、そして杉並区と1972年から79年まで東京で過ごしましたが、行ったことがある場所と言えば新宿ぐらいしかないので、新宿の話に一番興味を持ちました。

1973年に新宿文化で櫻社の芝居『盲導犬』を観に行って三丁目あたりがずいぶん怪しい感じなのを面白く思いました。そのすぐあと、状況劇場の『ベンガルの虎』を不忍池の水上音楽堂で観ました。その周りもけっこうあやしい雰囲気でしたが、この本によると赤線があったのはもっと東の方の新吉原、洲崎、亀戸、鳩の町、玉ノ井、千住、亀有、小岩、新小岩、本田立石で、他は新宿、品川、武蔵新田などだそうです。家庭教師のアルバイトで京成線の京成小岩とか総武線の市川あたりは行ったことがありますが、ぶらぶら歩いたりしたことはないので、地図を見ても新宿以外の場所はあまりピンとは来ませんでした。新宿の花園神社で紅テントの芝居を観たのはもう、ずっとあとの劇団唐組に変わってからのことかもしれません。ですが、当時から状況劇場の女優・田口いくこさんがアルバイトをしておられた「かくれんぼ」というお店の前までは何度か行って見たことがあります。この本でもその店のある横町(新宿センター街「思い出の抜け道」)の写真がp.167に載っています。残念ながら、未だにそのお店の中に入ったことはありません。「かくれんぼ」の写真は下の記事に載せました:
東京での一日(2)唐組篇(2015.10.12)
http://flim-flam.sblo.jp/article/165537208.html

上の記事で出てくる「どん底」というお店のある場所。そこが昔、遊郭のあったところなのだそうです。p.25の図1−9(現在の地図)をご覧ください。

ゴールデン街の写真も次の記事に載せています:
東京散歩(2) 弥生〜不忍池〜銀座〜新宿(2013.5.7)
http://flim-flam.sblo.jp/article/66761372.html

読んでいて、おっ! と思ったところのうちからいくつか上に上げたところ以外でもあげてみます。

新宿二丁目の「新千鳥街」のところで、その場所を人に訊ねたら「新宿高校の近くだよ」って教えられるところがあります(p.254)。新宿高校!!! 懐かしい!!!!……って、別にそこに通ったわけでもないし、場所すら知らなかったのですが、状況劇場の整理券をとろうと列で並んでいた時、まだ高校生の女の子がいて、たしか小島さんって行ったと思うけれど、学校をサボってきていました。なんだか自由な学校で平気なんだとか言ってましたが、本当でしょうか(笑)。ぼくは田舎の高校の超まじめな生徒で、喫茶店にすら入ったことさえありませんでしたので、東京の高校生ってすごいなあと感心しました。その新宿高校が一体何処にあるのか調べようとも思ったことはなかったのですが、思いもよらず、新宿二丁目にあるのを知って、今度東京に行った時はこのあたりを歩いて、ついでに新宿高校も外から眺めてみようと思います。その小島さんは演劇をやっているようでしたが、後に、某有名女優の付き人をやっていると聞いたこともあります。今はどうしておられるのでしょう。やっぱり芝居や芸能関係の仕事をしてるんでしょうか。

さて、その続きで「新千鳥街」の前の「千鳥街」を探索する箇所(この辺、とっても面白い!!)でp.281に出てきて、p.282に写真が載っているビルがすごいんです。「千鳥街」の『削り残りの敷地』に立っているビルでとっても薄っぺらなんです。実物が見たい! 場所は『新宿駅東口から新宿通りを東に新宿二丁目方向に歩いていくと、「新宿二丁目交叉点」の南西角』だそうです。で Google Map で探すと、確かにありました。実は新宿御苑にも一度も行ったことがなくて、このあたりはほとんど未体験。11月には東京にいくので、このあたりを散策する予定です。

2chome.jpg 2chome2.jpg

この建物も見逃せないですね。こういうくさび形の建物っていくつか観た記憶があるのですが、写真で残っているのは三島のこの建物ぐらいかも:

三島(1) 北口のJR、東レ
http://flim-flam.sblo.jp/article/59048350.html


さて、色々興味深く読める本なのですが、読んでいて一番感じるのは、こういう場所で働いていた女性たちへの順子さんの優しい心です。それを特に強く感じた話題を2つ紹介します。

最初はpp.102--104の部分。家の前に女性が立っている写真が載っています。かなり立派な家です。その家は、玉の井の女給さんが故郷の両親に仕送りをして立った家で、写っているのは女給さんのお姉さんにあたる方。立派に出来た家の写真が女給さんのところに送られてきたものだそうです。それだけなら、その女給さんの健気さに頭が下がるだけなのですが、実はこの写真は4つに裂かれていたものを修復して掲載されたもの。どんな気持ちで裂いたのか考えると、涙がこぼれて仕方がありません。あまりにも悲しいです。ですが、順子さんはこういう世界がなくすべきだ、とは書かれません。『いろいろな事情で環境や学歴に恵まれなかった女性が、才覚と努力でのし上がっていける世界は必要だ』と書いておられます。こういうところが順子さんらしいところだと思います。

そういう風に考えるきっかけとなった出会いが、あとがきに書かれています。マミさんというデリバリーの女性と知り合って話をして、そして、台湾でセックスワーカーやその支援者と話をして、売買春の問題を研究するときには可能な限りセックスワーカーの視点を取り入れようと決意をされたのでした。

三橋順子さんの労作です。続き(「男色編」)も期待しています。

※11/4に岡山の丸善では5冊平積みになっていました☆
posted by dunno at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書
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