2019年06月17日

幸福なラザロ

やっと溜まっていた映画のメモを書き終えたので、最近見た映画のことを書きます。

6月15日(土)、シネマクレール丸の内で『幸福なラザロ』(原題は Lazzaro Felice)を観ました。

公式サイト
http://lazzaro.jp


ラザロという名前は聖書にいくつか出てくるのですが、この映画のタイトルはそのうち、キリストの親友であって、亡くなったのち4日後に、キリストのことばにより復活したという人物の名前から来ているそうです。

lazarus.jpg
(布で覆われている人がラザロ)

前置きはそれぐらいにしましょう。この映画の主人公はラザロという若者。イタリアの田舎の村で村人たちの手伝いをして暮らしています。

この村は、外部を結ぶ橋が洪水で流れてしまって以来、外の世界とは孤絶しています。村人たちは川は危険だと信じこまされていて、外に出ようとはしません。この村の人たちは、外の世界に住む領主の小作人として、搾取されていることがわかってきます。ある若い恋人たちが、この村を出たいと宣言するのですが、人々に「そんなことをすると残った家族が領主にどんな目に合わされるのかわかるだろう、それでも出ていくのか」と言われて諦めるんです。実際にはすでに小作という制度は違法となっているのですが、村人たちが無知なために、領主は今も彼らを搾取し続けているのです。その搾取されている村人たちに、搾取されているラザロは無垢な若者。映画の宣伝の表現でいうと「その人は疑わない、怒らない、欲しがらない」なんです。

そんなある日、領主の息子タンクレディが村にやってきます。村人たちは彼と目を合わせないようにしますが、純朴なラザロだけは彼にあたたかい声をかけて、タンクレディを自分の秘密の場所に連れて行き、コーヒーでもてなします。親のことをよく思っていないタンクレディが、偽の誘拐事件をでっちあげて、ラザロの秘密の場所に隠れたことから、話は大きくなり、小作村の存在が外の世界に知られることとなり、村人たちは皆、外の世界に出ていきます。しかし、ラザロは……。

まあ、ストーリー紹介はこの程度にしておきます。

無垢なラザロは聖なる存在です。イタリア映画の名作『道』のジェルソミーナを思い出させる……と表現している映画評もありましたが、確かにそんな感じです。ただ、非常に現実的であった『道』とは違って、この映画はもっともっとファンタジーです。公式サイトでは「寓話的」という表現をしています。

村人たちの中で印象的な存在であったアントニアが、外の世界で再会したラザロの前でひざまずくシーンは感動的でした。村人たちのことはあまり好きになれませんが、この人だけは別です。これからご覧になる方は、アントニアに注目して映画をご覧になるといいと思います。

このぐらいで止めておくことにします。
posted by dunno at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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