2011年09月24日

十六夜橋

先日シンフォニービルで開催中の古本市を覗いてぶらぶらしていたら、なぜかある一冊の本に吸い寄せられて手に取りました。石牟礼道子さんの単行本『十六夜橋』(径書房)です。石牟礼道子さんのお名前は水俣病を取り上げた『苦海浄土』という本で知っていましたが、あまりに重苦しそうで読んだことはありませんでした。だけど、『十六夜橋』というタイトルには惹かれるものがありました。帯にはこんなことが書いてありました。
不知火の海べ
土木事業家の主と
三代の女たち
遊女、石工、船頭……
人びとの紡ぐ物語は
うつつとまぼろし
生と死
そして恋の道行き――
色彩と音のしらべ
絢爛と重なり、映えて
幽邃へと深まる

ひょっとしたら文庫本でも読めるかもしれない……とその日は買わずに帰りましたが、確かに文庫本でも出版されていることがわかりましたが、品切れで、古本で買うと同じくらいの値段になってしまうので、翌日購入してきました。

izayoibashi.jpg

ディック・フランシスのスリラーを読んでいたので、『十六夜橋』を読み始めたのは昨夜。第一章「梨の墓」だけ読みました。何気なく時間や空間が移りながら、主な登場人物や過去の人物・事件が少しずつ描かれていく様子が魔法を見ているようでした。

時間の順に整理すると(そんなことをしてしまうとつまらなくなる気もしますが)、次のようになります。出発点は天草。ある旧家の使用人である少年・重左は私心なく主家のために尽くしています。そしてその家の娘・糸(重左よりも六つ年上)をほのかに慕っていますが、糸の付き添いをしているうちに糸が寺の若い僧侶と相思相愛の関係になることを知ります。いつも控えめで糸の顔もまともに見たことのなかった彼が、はじめてまじまじと糸の顔を見たのは、なんと糸とその僧侶が舟で心中をし、糸の亡骸を舟から運び出したときでした。その糸の墓のそばに梨の木が植えられていて、命日の頃には花が咲くのです。

時がたち、糸の姉の孫である志乃は長崎で医学を勉強している秋人と結婚するはずでしたが、秋人が疱瘡にかかり死んでしまいます。家も傾き、志乃は土木事業家にあるじ直衛の後妻として嫁ぎ、重左も志乃について直衛のところで働くようになります。子どもがふたりできますが、長男・樫人は心臓が悪く働くことができず、娘・お咲の亭主である国太郎が若あるじの役を果たしています。志乃は精神を病み、しかも目を悪くしてしまいます。志乃やお咲の小さい娘の世話をするのは鹿児島の漁師の息子であった三之助という少年。三之助はすでに亡くなっている重左のことを知りませんが、とても重なるものがあります。

次の箇所も印象に残ります。
 重左にはお糸の晩年というのが思い浮かばない。
 ――死んだ人は年を取られませぬ。
「ほんに、死んだ人は、年を取られませぬなあ」
 志乃がそう言ったのがだしぬけのように聞え、またひとり言をいうたわいと重左は気づかされた。志乃さまには聞かせてならんひとり言じゃった。水車の濡れた漕ぎ板を踏みしめながら、お糸を抱えあげた時の舟板の感じが足のうらによみがえる。
 ――たぶん秋人さまのことを思い出されたにちがいない。儂も耄碌して来たと重左はおもう。


この章では、あと、重左が漕ぐ舟で志乃が秋人を送っていくシーンも印象的です。糸と志乃、重左と三之助が、皆、美しいです。心を寄せずにはおられません。上の話がどのように語られるのかぜひぜひ体験してみてください。

第二章以降でも、これらの登場人物の話の中に、彼らの昔の思い出、また、今は亡き重左の記憶が入り交じり、美しく展開されます。新たに登場するのは三之助の姉・小夜。三之助は姉が長崎に奉公に行ったと思っていますが、それが遊郭だとは知りません。この小夜の恋物語も切なく美しいです。

石牟礼道子さんの作品をもっと読みたくて、『椿の海の記』と『あやとりの記』の2冊を amazon で注文しました。どちらも石牟礼さんの子どもの頃の話やそれを元にした小説です。

『椿の海の記』

『あやとりの記』

祖母がめくらという表現が見えるので、「志乃」も石牟礼さんのおばあさんをモデルにしているのでしょうか。

「松岡正剛の千夜千冊」では石牟礼道子さんの『はにかみの国』という本が紹介されていて、上の3冊にも言及されています。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0985.html
う〜、早く読みたい! 『あやとりの記』はすでに発送されてされているので月曜日には届くかも。

You Tube には「石牟礼道子『苦海浄土』刊行に寄せて」というビデオも載せられていました。
http://youtu.be/n7VB2U4kA1M
「人が美しく生きるとはどういうことか……」「重荷でしょうけれど(『苦海浄土』を)お読みいただければ幸いでございます」

う〜ん、『苦海浄土』も読まなきゃな〜。
※ 余計なことかもしれないけれど、「第四章 みずな」でみずな(小夜の源氏名)が若宮稲荷で密かに想っていた仙次郎と偶然出会い、立ち話をして別れた後の弟・三之助との会話で「青竹」が出てくるのはおかしいのではないか、時間が進んだり戻ったりするので、作者自身が混乱したのではないかと気になってしまいました。(9/25追記)
posted by dunno at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書
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