2011年12月01日

先生のお宅のステンドグラス

ガラス好きになった最初のきっかけは、ぼくの先生がステンドグラス好きだったことだと思います。1979年8月末から1982年8月末まで3年間、米国バージニア州ブラックスバーグにあるバージニア工科大学で勉強しました。そのときの先生が フランク・クインでした。

クインがステンドグラス好きだとわかったのはプリンストン大学に連れて行って貰ったときのこと。数学科のある建物だったかどうかは忘れましたが、大きなティファニーのステンドグラスがある場所に連れて行ってくれました。それまでティファニーと言えば宝石店と思っていましたが、それ以後はティファニーと言えばステンドグラス☆

研究集会に行く途中、ステンドグラスの専門店に寄ったこともありました。

そして、ある夏休み、彼が家族でフロリダ旅行をする間、彼の家の留守番をしてネコたちの世話をしたときに、彼の家にも素敵なステンドグラスの窓がふたつあるのを知りました。

後に(1987年)、バージニア工大で研究集会があって、彼の家(前のよりももっと田舎に引っ越した家)でパーティがあったときに写したのが下の写真です。

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左のステンドグラスは見ているだけでうっとりしました。右のは古い教会で使われていたものだそうです。

左のステンドグラスは下の写真でわかるように、かなり部屋の中の高い位置にあるので、ちょっと見づらくて残念。また、前の家はすごく暗くていい雰囲気でしたが、今度の家は窓ガラスがやや多すぎて部屋が明るく、せっかくのステンドグラスがもったいない感じもしました。

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下は、研究集会会場で撮ったクイン(左)と彼の大学院時代の先生ウィリアム(ビル)・ブラウダー(右)の写真です。

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大学4年のとき、ブラウダーの "Surgery on Simply-Connected Manifolds" という本を買いました。130ページという薄い本なのに、未だに読み終えていません(トホホ)。そう言えばデビッド・ロッジの小説で大学の英文科の教員のパーティで「ハムレット」を読んだことがないと発言した男がクビになるエピソードがありましたが、それ並みか……。

また学生時代の話に戻りますが、夏休みにワシントンDCから北上してニューヨーク州、さらにボストンまで行く旅をしたとき、クインに教えて貰ってコーニング・ガラス美術館にも寄りました。いい美術館ですけれど、膨大な点数があり、疲れました(笑)。また行ってみたいです。

ブラックスバーグでアパートに住んで最初に買った皿がコーニングのCorelleというブランドの軽くて割れないお皿でしたので、コーニングにはすごく親しみを感じます。その皿は実は今も使っています。つまり30年以上使っていることになります。なにしろ壊れないんです。

バージニアを離れてミシガンに移ってからも、ティファニーの葡萄のあるステンドグラスのポスターを買って飾っていました。それは埼玉に引っ越してからも飾っていましたが、さすがに今は見かけないので処分したのでしょう。

ステンドグラスのある家には住めないけれど、小さくてきれいなガラス作品を窓際に並べたりテーブルに置いたりしてささやかに楽しんでいます。

※ ルイス・C・ティファニー美術館にも名古屋で一度、松江に移ってから一度行きました。今はもう松江には無くなってしまいましたが、あそこの素晴らしいステンドグラスは今どうなっているんでしょうね〜。ご存じの方があったら教えて下さい。
タグ:ガラス 松江
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2011年07月23日

観光外輪船「ミシガン」

今朝の日経の文化面をじっくり楽しんで、日経新刊にあげられている『韃靼の馬』を買おうかな……などと思いつつ、残りはさっと目を通し、特集宣伝記事(京都経済特集でした)は飛ばそうとページをめくろうとしたときに、ふと目に飛び込んできたのが「涼感、琵琶湖クルーズ」という見出しの記事に添えられた観光外輪船の写真でした。

別に昔乗ったことがあるとかいうわけではありません。実はまだそもそも琵琶湖を見たことがありません。

写真を見て思い出したのは、ミシガン大学でCalculus(微積分)を教えた一人の学生のことでした。

1982年の8月にバージニア工科大学で博士号を取った後、ミシガン大学の数学教室に9月からの3年契約・更新不可のポジションを貰えて、ブラックスバーグからアナーバーに引っ越しました。義務は理系学生のための Calculus のクラスを受け持つことが中心でした。

バージニア工科大学でティーチング・アシスタントとして教えていたときもそうだったのですが、やはり学期末の学生による授業評価で外国人なまりに苦情があったりすると、ちょっとため息のひとつも出てくるんです。

ところがある日、研究室に韓国系の学生さんが友達といっしょに話をしに来てくれました。彼ら二人は非常に優秀な人たちで感心していたのですが、ぼくの授業がとても面白いと言ってくれて、そういうポジティブなフィードバックは珍しいので、とても嬉しく思いました。

四方山話の中で日本の話になったとき、彼が、自分の父親は日本の琵琶湖でミシガンという船をやっていると教えてくれたのがすごく印象深く、他に何を話したかはもうすっかり忘れてしまいましたが、これだけは頭に残っていて、日経の記事で彼のことを思い出したのです。

名前も覚えていないし、彼の専攻も忘れました。でも、利発な学生でしたから、きっと社会に出ていい仕事をしていることでしょう。

下に載せたのは、当時いた研究室です。他に3人でいっしょに使っていました。写っているのは Joel Hass。もうひとりは Leon Karp でした。

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