2018年06月30日

海を駆ける

今日、シネマクレール丸の内で『海を駆ける』を観ました。

公式サイト
http://umikake.jp


深田晃司監督の『歓待』『淵に立つ』が傑作だったので、期待して観に行きました。ディーン・フジオカが主演というのでちょっと首はひねりながらだったのですが……。
う〜む、なんとも不思議な映画で、どうとらえていいのかよくわかりません。ヘンな映画ですね。

舞台はインドネシアのアチェ。
冒頭は浜辺から海を撮った風景が延々と(ちょっと大げさ?)続くのでぼうっと観ていると、ふと気づくと、海の中、画面の正面に男が浮かんでいるんです。ちょっとびっくり。いつから居たんでしょう。最初は全然気づきませんでした。その男(ディーン・フジオカ)が海から上がってきて、裸のようなのですが、下半身は映りません(苦笑)。これは女性ファンのためにも全身像を前から撮らなきゃだめでしょう。そのあと、男が倒れて、空の上、高いところから全裸(背中側)が映るんですけど、ちょっと小さくて残念かも。

ストーリーはシネジャの作品紹介でどうぞ。
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/459355128.html

アチェという名前は記憶に無かったのですが、2004年のインド洋津波で多くの方が亡くなられたところなのですね。登場人物の中にも、本人も自宅も大丈夫だった人、家族や家を失った人が出てきます。

インドネシアの映画は観た記憶がありません。でもマレーシア映画『タレンタイム』で出てきた民族・宗教による諍いのはなしは、インドネシアにもあるんですね。このアチェでも独立運動があったそうで、ストーリーにも関わってきます。次男が以前インドネシアで仕事をしていたこともあって、なんとなく親しみのある国で、町の様子(津波で陸に打ち上げられた船が観光名所になっているのにはびっくり!!)、人々の姿をとっても楽しめました。自然も美しかったですね。

ストーリーは予想していない方向に動いていくので、あまり書けません。最初、いい人たちばかりだと思っていたのですが、とんでもないくせ者がまじっているのでご用心。あるシーンでふと最近観た『友罪』のあのことが思い出されて、大丈夫かな? と思ったんですが、やっぱりある人がひどい仕打ちをうけてしまいました。気の毒に……。でもそのことは後の方では特に取りあげられることはありませんでした。

それで、かなり終盤までディーン・フジオカは脇役なんです。それがある時点から彼の存在自体がファンタジーになってしまいます。しかも、人の命を救ったり、逆に、命を奪ったりする能力があることがわかってくるんです。とくに説明がなくてよくわからなかったのですが、(将来の?)苦しみから救うための行為だったのではないか、……いやそうであってほしいと思うだけなのですが……結局、よくわかりません、津波が、よいひとも悪い人も差別なく海に引きずりこんでしまうという恐ろしい事件を体験したわれわれにとって、ディーン・フジオカの存在は海そのものだというだけのことなのかもしれません。そう、彼は記憶をうしなっていたため、仮の名として「ラウ」(インドネシア語で「海」)と呼ばれていたんです。

それはともかく、インドネシアの地方の町・田舎や人々の様子を見れただけでも十分な収穫でした。


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焼肉ドラゴン

6月24日(日)、イオンシネマ岡山で『焼肉ドラゴン』を観てきました。ネタバレがあります。ですが、見始めるとすぐに想像のつく終わり方ですので、それを書いてしまっています。ご了承ください。

公式サイト
http://yakinikudragon.com


原作・脚本・監督の鄭義信(チョン・ウィシン)は新宿梁山泊の座付き作家でしたので「千年の孤独」(1999年)なんかは新宿で観ました。その後別れてしまって残念でしたが、NHKの劇場中継で椿組・03花園神社野外劇 「20世紀少年少女唱歌集」(作・演出:鄭義信) を観てとても感動しました。今回の「焼肉ドラゴン」はとても評判のよかった芝居で、雑誌「セリフの時代」の2008年夏号/vol.48に戯曲が掲載されていたのを買ったのですが、読まないうちに処分してしまって(雑誌って溜まってしまうので、捨てちゃうじゃないですか……)もったいないことをして、悔やんでいましたところ、数ヶ月前に丸善で芝居の棚を観ていたら『在日三部作』として本が出ていたので早速購入。映画を観るまで我慢して、何も予備知識なく映画を観ました。

伊丹空港脇の国有地に終戦前から住み着いた在日朝鮮人家族の物語です。時期は昭和44年〜45年(大阪万博の年)。ぼくが高校1,2年の頃ですね。万博には高2の修学旅行で行きましたよ。何しろ国有地を不法占拠しているわけですから、自宅でやっている焼肉屋には水道は引けず、少しはずれたところになんとか共同水道があって、それを皆で使っているんです。

おっと、話を進めすぎました。映画の冒頭なんですが、高校生・時生のモノローグから始まります。彼の回想といったかんじのモノローグ……なのにそれを語る声は高校生のまま……これを聞いた段階で、ぼくは「あ〜、この子は若くして死んでしまうんだな……と想像がついてしまい、それだけで辛い気持ちでいっぱいになってしまいました。

時生の上には3人の姉妹がいます(日本人が演じています)。姉妹の恋愛・結婚の話、立ち退きの話、そして時生のうけるいじめの話などが、泣き笑いで描かれます。両親は在日の俳優さんでしょうか。この二人がよかったです。特に父親はふだんはとっても穏やかな人(対する?母親はけっこう過激、ゴジラのよう・笑)。その彼が自分の気持ちをはき出すシーンでは名来てしまいました。
そして、みんなに色んな思いはあるんだけれど、ゲスなところがなくて、それぞれの登場人物に気持ちをよせることができました。

日本人も登場していて、彼らも普通に主人公たちと混ざっていて、気持ちよかったですね……。

やっぱり辛いのは、時生がいじめに苦しんでいるのに、父親が無理に私立のいい学校に通わせようとしたところ、そして、長女とその婚約者が北朝鮮へ行ってしまうところ(『キューポラのある町』の時代よりずっとあとですが、まだそういうことをしていたんですね)。

最終的に、立ち退きせざるを得なくなるのですが、その時には、3人の娘はそれぞれ連れ合いをみつけて、一人は北へ、一人は南へ、ひとりは日本人と一緒に別の町へと別れていってしまいます。

でもそのわかれのシーンはとっても美しいです。

長女を演じている真木よう子もよかったです。
オススメです。

戯曲の方ですが、最初の『たとえば野に咲く花のように』と『焼肉ドラゴン』を読みました。もうひとつ『パーマ屋スミレ』はこれからですが、こちらもオススメです。戯曲ってあまり好きじゃない方もあるかもしれませんが、ゆっくり、じっくり、舞台を想像しながら読むと面白いですよ。
『焼肉ドラゴン』だけなら文庫やkindle版(たった520円!)があるようです。
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2018年06月24日

友罪

6月16日(土)、イオンシネマ岡山で『友罪』を観ました。

公式サイト
http://gaga.ne.jp/yuzai/


「心を許した友は、あの少年Aだった」というのがこの映画の惹句。

この映画には過去に罪を犯した人たち、もしくはその人物の家族が登場します。みな、一様に苦しい思いをもって生きています。罪を犯した人やその家族は幸せな暮らしをしてはいけないのか? というのがこの映画のテーマのように思えます。

・刑期を勤めればそれで許されるのか……。
・でも罪を犯した人は永遠に幸せな暮らしをしてはいけないのか……。
・犯罪として取りあげられなかったが、本人だけが罪の意識を持って生きてきた場合は、どうすれば許されるのか……。

単純に割りきれる問題ではないとは思います。でも、この映画からは、罪を犯した人も幸せになってほしい……という監督さんの祈りを感じました。
幸せ……というのは心の通い合う人が周りにいてくれることだと思います。

最近進展のあった津山での少女殺害事件の容疑者がおそらくそうなのでしょうが、似たような犯罪を繰り返してしまう人たちがいます。体の中にある衝動を抑えきれないのでしょう。それは何故なのか……。やはり上のような意味で「幸せ」ではないのでしょう。
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杉村知美さんの「やわらかいかたち#4」

「アンクル岩根のギャラリー」で開催された「杉村知美展」はとてもよかったです。

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基本的には写真展なのですが、普通に印刷してあるものと、フィルムに印刷してそれを透明なアクリルで挟んだ作品群がとてもよかったです。

ぼくの購入した作品は「やわらかい形#4」。今日、引き取ってきました。

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食卓に置いてうっとりと眺めています。明日の朝食の時、ちょっとどけないとまずいですね〜。

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2018年06月18日

渚ゆう子さんと千葉紘子さん

今、自宅のCDプレーヤーにはいっているのは「GOLDEN☆BEST 渚ゆう子」です。ここ数日ずっとかけています。だいぶ前に購入したCDです。この人の声がとても好きです。また若い時の渚ゆう子さんはとてもきれいなお姉さんでした(ぼくより10ぐらい上)。

購入時に知っていた曲は5、6曲だと思いますが、他の曲もとても良かったです。ヒットする前、ハワイアンも歌っておられたんですね。そういう曲もいいです(「早くキスして」)。

動画もみたくなりいくつか観たら、こっちもよかったのでメモ代わりにここにリンクを貼っておきます。

渚ゆう子 - 京都の恋


京都の恋/渚ゆう子(高音質)
https://youtu.be/ov5z6tU2RIg

京都慕情 - 渚ゆう子


京都慕情 Yuko Nagisa
https://youtu.be/jYqKccaUOgY

渚ゆう子「さいはて慕情」(1971年)


渚ゆう子リサイタル(3-7 早くキスして)1974 3m15sより
https://youtu.be/jPX1bsh_duo?t=3m15s
※上ではひとりで歌っておられますが、CDでは佐々木敢一さん(和田弘とマヒナスターズ)とのデュエットです。

同じリサイタルで、「早くキスして」に続けて歌われたメドレー(今日からひとり、さいはて慕情、長崎慕情、雨の日のブルース)です:
渚ゆう子リサイタル(3-8 メドレー)1974
https://youtu.be/LLP1g_2yWGA

「今日からひとり」もすきな曲です。

なお、このリサイタルの歌唱は以下からあれこれ聴くことができます。
https://www.youtube.com/channel/UCykTB94JLDIFGHnL8c3BUbw/videos


さて、渚ゆう子さんと顔は似てないんですが、美しい声とお姉さんらしい風貌で連想してしまうのが千葉紘子さん。「折鶴」、大好きでした。他の曲をあまり覚えていないんですが……いつかベストアルバムを買いたいです。この方の声もきれいです。

千葉紘子 / 折鶴

おお、いつまでも美しいですね〜。

昔の映像:
千葉紘子 ♪折鶴


音だけバージョン:
折鶴。千葉紘子さん。
https://youtu.be/hOjhiQRSl7g

※今朝、通勤時にふと「折鶴」の曲が頭に浮かんできて、歌手がだれだったかな……と考えても「千葉」しか思い出せませんでした。気になるので検索したら「紘子」でした。う〜む、そもそもこの「紘」って、見ながら書かないと字が書けません。この字を生まれてから一度も書いたことがない気がします。今、実際に書いてみたのでしばらくは覚えているかもしれません。糸へんの右側が「広」に似てますが違うんですね。
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2018年06月15日

貧乏寺?! 仁平寺の和尚様

4月14日の朝、入院中だった母が亡くなりました。12月に誤嚥性肺炎で高熱が出たもののまた元気になってくれるものと思っていました。一時はかなり元気になり、食欲も若干回復しましたが、また次第に食欲がなくなり、別の病院に転院して一週間もたたないうちのことでした。あとで知ったのですが、誤嚥性肺炎というのはかなり厳しい病気なのですね。また、アルツハイマーというのは最後は食欲がなくなって死んでしまう病気なんですね。最初に入った病院の看護師さんが、ここまで元気になったのは奇蹟だとおっしゃっていたのを首をひねりながら聞いたのですが、やはりもう限界だったようです。いつもよく覗かせていただくブログにこんな記事があったのを昔読んだのですが、自分の親の危機が迫っていた時にはすっかり忘れていました。

母の老衰死〜最後の3ヶ月の記録
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/3-4817.html

最初の病院にいたときに、かなり長い間点滴を一日2袋やってもらっていて、水ぶくれがあちこちに出始めてからは1つに減らしてもらっていました。もう点滴のできる場所がなくなりそうだとは看護士さんからうかがっていました。転院してからは点滴はされなくなりました。一時は、自分の口で食べることもできて、本人も「おいしい」と言っていたのですが、すぐにまた食べなくなってしまったそうです。容態が悪くなったと連絡があった13日の金曜日(!)にぼくは新幹線で岡山から山口に、妹は下関から山口に車で駆けつけました。妻は車で追いかけるようにして山口に来てくれました。こんなことを書くと不快に思われる方もあるかもしれませんが、ぼくも妹も母に対しては色々思うことがあって、病院の方は「ご家族の泊まれる部屋がありますよ」と言ってくださいましたが夜の8時くらいまで付き添って、その晩は引き上げました。結局朝7時前に病院から母の容態が悪くなったと連絡をいただき駆けつけましたがましたが、死に目にはほんの少しの差で会えませんでした。

葬儀に関してはあらかじめもう決めているところがあったので、すぐに連絡、そして朝早かったですがお寺(山口駅近くの永福寺さま)にも連絡して、土日で通夜と葬儀をすませることになりました。

実はお寺のご住職(11年前の父の葬儀、その後の法事で本当に色々お世話になりました)が昨年の夏に亡くなられていて、今回の通夜や葬儀はよそのお寺のお坊様が替わりを勤めて下さることになったんです。それが仁平寺さんなんです。うちのお寺の方から仁平寺さんに連絡がいって、葬儀場まで打ち合わせに来て下さいました。まだ若いお坊様でした。二人の子どもたちとその家族だけでこぢんまりとやりたいとお願いし、父の戒名の説明をしてそれに釣り合うようなものをお願いしました。すると夕方までにいい戒名を考えて下さり、妹も僕もとてもそれが嬉しかったです。

翌日の葬儀では、母が仏になるのを助けるためには、家族がしっかり大きな声でお経をあげることが大切だと話して下さり、皆で大きな声で(妹は途中から泣いてしまいあまり大きな声ではなかったですが)お経をあげました。今まで出た葬儀でそんなに参列者がお経を上げるのを見たのは、創価学会員だった伯母(母の一番上のお兄さんのお連れ合い〜)の葬儀のときだけだったと思います。とてもいいお葬式だったと思います。

昼間の打ち合わせの時に、一週間ごとの二七日・三七日・……はどうされますか、と仁平寺さんに訊かれたので土曜日なら来れると思ったのですが、よく聞いてみると、土曜日に亡くなった場合は金曜日がその日にあたるんだそうですね……それでは仕事があるから無理ですと答えますと、自分の方でお経をあげることはできますがどうしましょうかと訊かれたので、自分たちが行けないのならそれはしていただかなくていいですと、答えてしました。あとで、悪かったな……と思ったのですが、そのことについてはまた後で書きます。とりあえず、本当の七七日=四十九日は平日で無理なのでその前の5月29日に四十九日をすることだけ決めて、永福寺に連絡し、お寺で四十九日をするように手配をしました。

四十九日のあとの食事には来ていただけないかと思っていましたが、思いがけず、来て下さるとのお返事を仁平寺さんからいただき楽しみにしておりました。

ところで11年前に亡くなった父は山口市の市営墓地に埋葬していたのですが、規約では山口市内に住む管理者を指定しなくてはいけないことになっているんです。母が生きていた時は母が管理者だったのですが、母がなくなってしまうと、山口市内に家族や親戚はだれもいなくなってしまいました。父母はおそらく、ぼくが山口市内に住んでくれるようになることを期待していたのでしょう。すみません、山口は退屈すぎて住む気になれません。もちろん、ぼくの同級生はたくさんいますが、いくらなんでも墓の管理者は頼めません。墓をどうするかということは以前から困っていたのですが、妹が、永福寺さんで永代供養ということで納骨堂に入れて貰おうと提案してくれて、幸い、空きがありましたのでその手配もして、墓じまいをすることになりました。

ともかく市役所に行ってその手続きをしなければばなりません。平日で行ける日……ということで5月1日に山口市役所にでかけました。山口駅からまっすぐ歩くと市役所があるんですが、歩いていると目の前のお店からひとりの托鉢僧が出てきて、せわしなく道を横切り反対側に渡られたんです。どうみても仁平寺の和尚様。あれっと思った時にはもう道の反対側に行っておられたので声を掛けられませんでした。お忙しいということは伺っていましたが、本当に忙しそうでした。

色々手続きも順調に進み、5月19日(四十九日の一週間前)にお墓から骨壺を取り出してお寺に届けることになりました。仁平寺さんのご都合のいい時間に合わせて待ち合わせして一緒に墓地に行き、墓を片付けて下さる石屋さんもその時に来て下さりました。前日は大荒れの天気でしたがこの日は午後から晴れて最高の日和でした。

四十九日の日もよい天気でした。法要では葬儀の時と同じように、皆で大きな声でお経を読みました(妹はやっぱり途中で泣いていました〜本当に泣き虫です)。そのあと、仁平寺さんがとても大胆なお話をしてくださいました。最初に、自分の話が不愉快だと思ったら、黙って手を上げて欲しい、そうしたらその話はやめるから……とおっしゃるんです。いや、確かにぎょっとするようなことを言われました(笑)。そういうことを最初に言われるのにはわけがあって、以前、話の途中で参列の方が怒り出して、話を止めるようにいわれたことがあるんだそうです。まあ、そのあとの話もあるのですが、ネタをばらしてしまってはいけないのでどういうことを話されたのかはここには書かないことにします。ぜひ直接仁平寺さんのお話を聞いてみてください。寺は曹洞宗なのですが、曹洞宗には修証義(しゅしょうぎ)というお経があります。開祖の道元の『正法眼蔵』などから色々抜き出して、明治時代につくられたものだそうです。その内容に関するお話でした。

その後、父と母の骨壺を納骨堂におさめて、3台の車に別れて食事の場所に移動し、仁平寺さまと一緒に食事をしました。どいういう話の流れだったのかよく思い出せませんが、仁平寺さまがTBSの『Nスタ』という番組に出演されたという話をされました。それに関する番組のページはもうなくなっているのですが、それを紹介しているサイトがありますのでリンクしておきます。

「お坊さんの本当のお仕事は布教です」H30.2.1
http://kouanji.jp/sub1263.htm
「清貧寺 極貧寺のお坊さん 宗教法人法をご存知ですか?」H30.2.3
http://kouanji.jp/sub1264.htm

テレビ番組で「貧乏寺」を色々紹介しているんだそうです。で、仁平寺さんも紹介されたんだそうです。
仁平寺の和尚様(田中大道とおっしゃいます)。
こちらにお写真が載っています。(いたずらっぽい眼をしておられるでしょ?)
TVでは2つの極貧寺を取り扱ってました。
一つは曹洞宗のお寺です。
元ネタは月間住職ですね。
TVでも月刊住職の矢澤編集長が監修されてました。
引用元は「“清貧” お寺のオカネ事情 月収10万円以下!?家族4人」「極貧寺 “生き仏”の暮らし 月収6万円…全部分けちゃう」です。


元教師で、家族4人で月収10万円以下のお寺を取材。
やってきたのは山口市にある曹洞宗・仁平寺。
住職の男性は17年前に高校教師をやめて住職になり、10年前に結婚し2人の子どもを授かった。
月収10万円について、男性はウソではない等と話した。
そのからくりに密着した。
午前10時に住職は付き合いの古いお宅でお経をあげるのが日課。
お経をあげたときのお布施は無いことは珍しくないという。
お寺の収入は葬儀と法事などでそれ以外はないという。
これでは家族4人は支えられないので山口市内のアーケード街に行き読経してお布施をもらう。
これは托鉢という修業で、この日は約1時間行い2,500円のお布施を得た。
これによって檀家以外からの葬式などの依頼が増えたという。
他にも夜は座禅会で月収を2万円アップ。

「托鉢という修業で、この日は約1時間行い2,500円のお布施」、毎日できるわけではありませんから、この2,500円は寺の経営にはほとんどプラスになりません。
「山口市内のアーケード街に行き」、このための車のガソリン代等の経費がかかります。
「これによって檀家以外からの葬式などの依頼が増えた」、これが最大のプラスです。
そしてお坊さん本来のお仕事の布教になっています(^∀^)

「夜は座禅会で月収を2万円アップ」、これはそのまま受け取ると失敗になります。
単純な座禅会で布教は非常に難しいのです。
10年以上継続されて成果をあげているお寺は非常に工夫をされています。


もともと大学卒業後、色んな仕事をされて、最終的には高校の講師をしておられたんだそうです。それが、僧侶になりたいと思われて、最初は長野のあるお寺に入門して修行をされたのだそうです。ですが、もてあまされて(笑)、永平寺に行きなさい……ということで永平寺で修行を積まれました。そうしているとあの寺はどうか、この寺はどうか、という話が来るんだそうです。お寺も次ぐ人がいなくて困っているのですね。寺の娘と結婚して寺を継ぐという話はいっぱいあるんだそうです。東京都下でそういういい話があったのだそうですが、檀家数も多いので、その付き合いはどうしてもはでになります。週何回も銀座に出るようになるんだそうです。車も国産車じゃだめ。外車に乗るのが当然というお寺なのです。永平寺での師匠にあたる方が、おまえはそれでいいのか? と言ってくださり、それは自分の望む望むところではないと考えられて何を思ったか、誰も引き受け手の無い山口の田舎の小さい寺を引き受けることになったのだそうです。檀家の数がすくないのであまり仕事がありません。その月の収入予定が3万円程度しかないことも多いそうです。それでも托鉢などをがんばってなんとか小さい子ども二人の4人家族がなんとか暮らしていけているとのことでした。

実はぼくも、小学校6年の頃、釈迦の伝記を読んでお坊さんになりたいなと思っていたことがありました。中1の夏休みに、母の実家に行った時も仏教関係の雑誌を持っていってそれを読んでいたら、創価学会の伯父さんがそれを見て「こんな本もあるよ」と行ってそっち系の本を何冊か見せてくれたことがあります。この伯父は軍属として中国(満州?)に行っていましたが、敗戦でシベリアに何年も抑留され最後の帰国便で帰ってきたそうで、色々な思いがあったのでしょう、創価学会に入って熱心に信心しておられました。とても穏やかで優しいおじさんでした。おばさんのことは子供心にも綺麗な人だと思っていましたが、昨年亡くなられました。そのあと母が亡くなって、母のきょうだい6人、その連れ合い、みな亡くなってしまいました。母のすぐ上のお姉さんはずっと独身で、実家で内職をしておられました(印刷された割り箸の袋用の紙にのり付けして袋を作り、それに割り箸をいれ、それをさらに十何本かまとめて袋にまとめる)。そのおばさんとぼくの祖母は猫が好きでとてもかわいがっていました。おばさんは母の実家にいない時もあって、どうしたんだろう……と不思議に思ったこともありますが、なにか訊いてはいけないような雰囲気を感じていたので、一度も訊けませんでした。色んなことはぼくも想像していましたが、あるとき、父方の親戚のところで、「あのきちがいのおばさんはどうしてる?」と訊かれたことがあって、ああ、やっぱりそうなのか……と思いました。このおばさんには映画に連れて行って貰ったことがあります。まだ小学校の低学年の頃だと思います。映画の題はわかりませんが、内容は四谷怪談で、お岩さんが出てくるところでは怖くて前の座席の陰に頭を隠したのを覚えています。まだ母の頭がしっかりしている時に、おばさんのことを訊いたことが一度だけあります。なんでも、裸になって通りを走り回ったこともあったんだそうです。でもぼくの覚えているおばさんは物静かな優しいおばさんです。母は父方の親戚のところでは色んなことで肩身が狭かったのでしょうか。父は仕事に忙しくて実家に帰ることはなかったので、母がぼくと妹を連れて帰省することがほとんどでしたが、父方の祖父の前で母が泣いていたのを覚えています。

話を現在に戻しましょう。

永福寺の亡くなったご住職の息子さんはまだ若いので修行中。今年の暮れには永福寺に戻ってこられると聞いていましたので、こんどの初盆ではまた仁平寺さんのお世話になるものと思っていましたが、夏だけは息子さんが戻ってこられるとのことで、仁平寺さんのお世話になるのは今回で終わりになりそうです。「一期一会ですね」とおっしゃっていました。永福寺の先代の和尚様もとてもいい方で、インドで勉強したときのお話もうかがったことがあります。仁平寺さんはどちらかというとちょっと奇人・変人(いい意味で使っています)。出会えてよかったな〜と思います。

そんな貧乏寺ならもっとお布施をあげればよかった……七日ごとにお経を上げて貰えばよかったと今では思いますが、最後の最後にそんな事情を聞いたのでちょっと手遅れでした。もしこれを読んでおられる方の中に山口方面の方がおられましたら、ぜひ仁平寺さんのお話を聞いてみてくださいね。
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2018年06月13日

ターンレフト・ターンライト

『星空』の記事を書いているうちに同じ原作者(ジミー)の別の本をもとにした映画『レフトターン・ライトターン』を観たくなってしまったので、昨夜、DVDで見直しました。面白かった記憶はあるのですが、かなり忘れていたので二度目でも楽しめました。特にあっと驚くラストはかなり最後まで思い出さなかったのがラッキーでした。
としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか

中島みゆき「傾斜」:
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-e71f.html

余計なことを書いているうちに(歌詞がうろ覚えだったので正確なのを調べたりリンクを調べたりしてけっこう時間がかかったんです)なにを書こうと思っていたのかわからなくなってしまいました。話を映画に戻しましょう。

『ターンレフト・ターンライト』についてはWikipediaの日本語記事をご覧ください。
英語版Wikipediaの記事: https://en.wikipedia.org/wiki/Turn_Left,_Turn_Right
IMDb記事: https://www.imdb.com/title/tt0367174/
(評は真っ二つに分かれてますね〜)

監督はジョニー・トーとワイ・カーファイの黄金コンビ。ロマンティック・コメディでは『Needing You』『ダイエット・ラブ』『我左眼見到鬼』『百年好合』そしてこの作品(原題:向左走・向右走)はDVD(香港版)を買いました。一番何度も見返しているのは『ダイエット・ラブ』『我左眼見到鬼』。どっちもサミー・チェンが出ていて、無茶苦茶泣けました。いいですよ〜。

この映画は雨の日の交差点で横断歩道を渡ろうとする人たちの中にいる主人公二人を描くところから始まります。たくさんの人がいますが、主人公はすぐにわかります。男は緑の、女は赤の傘をさしていて、他の人の傘はみんな黒で、すごく目立つんです(笑)。面白い導入だと思います。こちらをご覧ください:

https://youtu.be/8toU9_xiKLw?t=26s

ネタをばらしてしまうと、実はこの二人は中学校の時キャンプ合宿で出会ってお互いに好意を抱いたのですがなかなか言葉をかわすことができなかったんです。解散となってもうお別れというギリギリのときに女の子の方が勇気を出して男の子に電話番号を教えてもらうんですが、そのメモを荷物ごと電車に忘れてしまい連絡がとれなくなったのでした。お互いに名前も知らず、わかっているのが学番だけ……。

この女の子は大人になっても粗忽ものなんですが、演じているのがジジ・リョンなので、ちょっと無理があるかもしれません。サミー・チェンの方がコメディに向いてます。

二人は今は大人になっていて、アパートの、壁を隔てた隣に住んでいるんですが、使う階段や出口が違う(大家さんも違います)し、なぜか色んな事情で道でも出くわさないので、そのことを知りません。

ですが、ある日公園の噴水のそばで、二人は奇跡的にであい、話をしているうちにお互いの初恋の人だとわかるんです。楽しい時間を過ごしますが生憎の雨。雨宿りしようとしたところに二人の大家さんたちがデート中! 家賃を滞納していて大家さんに見つかってしまったと思った二人は、慌てて電話番号をメモ用紙に書いて交換し、雨の中を右と左に別れて逃げていきます。そのメモが雨でにじんで読めなくなってしまい、二人はまた連絡がとれなくなってしまうのでした。二人は再会することができるのでしょうか……

という予備知識のもとに、次の予告編をどうぞご覧ください。
https://youtu.be/H0rI8kddOfk

公園でのシーンがもっと入った動画もあります。
https://youtu.be/gFYHzNxDsvE

このあと、新しいキャラクターが二人出てきてドタバタ喜劇がはじまります。食堂の女の子、好きですね〜。
二人は本当に最後まですれ違いが続くのですが、あっと驚く信じられない奇蹟がおこって二人は会うことができます。気になる人は下の動画をご覧ください。映画の最後の10分ちょっとが観れます。
https://youtu.be/oz5MXAOpLf8

原作の絵本を動画にしたものもありました。長いですから興味のある方だけご覧ください。
向左走向右走 - 几米
https://youtu.be/O75fm4FefJA
Turn Left, Turn Right
https://youtu.be/VNJJK_Y32j4

家にあるDVDを探していたら、一瞬、この映画のDVDが二枚あるのか!と思ってしまったのがこのタイトルの作品でした:
『永遠の片想い(英題:Lovers' Concerto)』
なんでかというと、ぼくのもっているのは香港版で、タイトルがなんと『向左愛・向右愛』なんです。『向左走・向右走』とそっくりでしょ。
http://movie.mtime.com/12228/posters_and_images/cover/hot.html
『猟奇的な彼女』のチャ・テヒョンと二人の女優イ・ウンジュ(大好きだったのですが、自殺で亡くなりました……ショックでした)とソン・イェジン3人の話です。今夜はこっちを観るつもりです。
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2018年06月12日

高層ビル建設現場のタワークレーン

柳川交差点に建設中だった高層ビルの工事がもうほとんど終わったように見えます。今は内装工事中なのでしょうね。

高層ビルの建築と言えば目に付くのがタワークレーン。ビルが高くなるにつれてこれもだんだん上がっていくんですが、一体どうなってるんだろう……って不思議に思いますよね。そしてビルができた後、あのでっかいタワークレーンをどうやって下におろすのか……これもほんとに謎ですよね。これって時々話題になっていたりするので、紙の上……じゃなくて画面上の……知識としては見たことがあるのですが、今回の現場を毎朝・毎晩眺めていて。解体作業自体は昼間ですので目撃できませんでしたが、日々変わって行く姿をカメラで撮ることができました。

まず謎の解答のあるサイトを二つリンクしておきます(亡くなるかもしれないので念のため)

●解決!タワークレーンの謎|タワークレーン特設サイト:大林組
https://www.obayashi.co.jp/towercrane/
●タワークレーンクライミング方法・組立解体の手順を写真画像で謎解く
https://tobisyoku.net/tower.htm

すごいですよね〜。

では写真をどうぞ。

2018cranes01.jpg
大きなクレーンの左に中型クレーンが作られました。

2018cranes02.jpg
中型で大型を解体してしまいました。まだ台の部分は残っています。

2018cranes03.jpg
台が小さくなりました。

2018cranes04.jpg
台もなくなりました。

2018cranes05.jpg
中型の左に小型のクレーンが出来ていました。

2018cranes06.jpg
小型のクレーンが中型を解体しました。解体したパーツは左側におろされたそうです。

2018cranes07.jpg
小型クレーンも無くなってしまいました。

ずっと毎日見ていたクレーンがなくなってしまって、心の中にぽっかり穴が開いたようなさみしい気持ちになっています。まあ、時が癒してくれるでしょう(笑)。
posted by dunno at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 岡山